多くの仏教宗派がある中で、なぜ「親鸞聖人の教え」なのでしょう?

●親鸞聖人ほど    「なぜ生きる」を       明らかにされた方はない 世界に宗教多しといえども、なぜ私たちは「親鸞聖人」の教えを聞くのでしょう。それは、親鸞聖人ほど「なぜ生きる」を明らかにされた方はないからです。「なぜ生きる」とはどういうことか。まずは、こんな笑い話から。 先日、考え事をしながらエレベーターに乗り、閉まる扉をぼんやり眺めていた。しばらく待ってもエレベーターは動かない。〝なぜ動かないんだろう〟と思った瞬間、エレベーターがしゃべりだした。「行き先のボタンを押してください」ハッと我に返る。「えっと、何階だっけ?そうだ、今から5階で会議があるんだ」 エレベーターに乗るのは、どこか行くため。行く先を知らないと、行き先ボタンは押せません。乗ってから「さて、どこへ行けばいい?」と言う人はないでしょう。行き先が分からねば動きようがないのは、エレベーターも同じです。 ところが、人生は、どうでしょう。何のために生まれてきたのか?生きて何をするのか?「このため」と全人類はハッキリしているでしょうか。ハッキリしていなければ、生きようがないはずです。そう聞くと、「生きることに意味なんてない」「生きているだけで素晴らしい」という声が聞こえてきそうです。若くて健康な時は、生きがいや目標、夢があれば生きられます。人類に貢献するような発見をしてノーベル賞を。金メダルを目指して毎日練習。お金をためて夢のマイホームを建てよう・・・等々。ところが、老いや病で体が不自由になり、他人の世話を受けねばならなく…

続きを読む